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日々のこと


by penelopemnm
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鎌倉 2012 7月 札所巡り 3

鎌倉 2012 7月  札所巡り 3_c0105068_7421561.jpg
第二十三番札所 大異山 高徳院
大仏の歴史は、広く知られているが、一方分からないことも多い。そもそもは、源頼朝が東国にも大仏を建てる計画を持っていたが果たせず、仕えていた稲多野局というものが実現のために働き、北条政子もこれを助け、僧浄光が全国を行脚して資金を集めたといわれている。鎌倉幕府・北条氏が当然のことながら支えたと考えられる。歴仁元年(1238)に始まり、寛元元年(1243)に木像の仏像と、大仏殿が完成されたとあり、さらに、建長四年(1253)には金銅の大仏の鋳造が開始されたが、それがいつ完成したかは不明。作者である鋳物師は、物部重光、丹治久友や大野五郎右衛門などの名が上がっている。大仏殿は、明応七年(1498)の大地震による津波で流されてしまい、その後は再建されることもなく、露座となった。江戸時代に入ると、増上寺の祐天上人が、豪商野島新左衛門の資金を得て修理。大仏の前の銅製の香炉は野島新左衛門の寄進するも、像のうしろには四枚の蓮の連弁が置かれていて、この寄進が果たせずそのまま置かれたもの。 当時は訪れるものも少なく、荒れ果てていて、鳥が巣を作るような有様だったとも記されている。 大正14年には、12年の関東大震災により崩れた台座が修理され、昭和35年~36年にかけての大修理では、頭部を支える首の周りを強化プラスティックで補強し、また台座と像を離す免震構造も施された。

大仏さまは凄く混んでいました。長谷駅からの通りの原宿か軽井沢かという人出を避けて、裏通りを歩くとなかなか素敵なレストランがあったりして、また鎌倉に出掛けたくなる。今度は平日仕事をサボって行こう。
by penelopemnm | 2012-08-18 23:40 | Sと (鎌倉・横浜)